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大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)4135号 判決 1977年11月29日

原告 亀甲株式会社

右代表者代表取締役 亀甲健一郎

<ほか一二名>

右原告ら一三名訴訟代理人弁護士 木村達也

被告 片岡不動産有限会社

右代表者代表取締役 片岡良造

被告 片岡良造

右被告両名訴訟代理人弁護士 板持吉雄

同 玉井健一郎

主文

被告片岡不動産有限会社は、

1  原告亀甲株式会社に対し、金三二万円、

2  原告松浦善栄に対し金二二万円、

3  原告中尾日出男に対し金四〇万円、

4  原告南賢に対し金三二万円、

5  原告宮地源伍に対し金一二万円、

6  原告藤本洋海に対し金一〇万円、

7  原告秋葉政敏に対し金三二万円、

8  原告池口英範に対し金七〇万円、

9  原告浜田一夫に対し金二二万円、

10  原告鎌田秀夫に対し金二七万円、

11  原告松原俊之に対し金三〇万円、

12  原告禾木治己に対し金一二万円、

13  原告高田アイに対し金二四万円、及び右各金員に対する昭和五一年八月二九日以降右各支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。

原告藤本洋海を除くその余の原告らの被告片岡不動産有限会社に対するその余の請求及び原告らの被告片岡良造に対する請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は、原告らと被告片岡不動産有限会社との間に生じた分はこれを五分し、その一を原告藤本洋海を除くその原告の原告らの負担とし、その四を被告片岡不動産有限会社の負担とし、原告らと被告片岡良造との間に生じた分は原告らの負担とする。

この判決は、主文第一項に限り、被告片岡不動産有限会社に対し、原告宮地源伍、同藤本洋海、同禾木治己において各金二万円、原告池口英範において金一〇万円、その余の原告らにおいて各金四万円の担保を、それぞれ供するときは、仮に執行することができる。

事実

一、(当事者双方の求めた裁判)

原告ら訴訟代理人は、「被告両名は、連帯して、原告亀甲株式会社に対し、金四〇万円、原告松浦善栄に対し金三〇万円、原告中尾日出男に対し金五〇万円、原告南賢に対し金四〇万円、原告宮地源伍に対し金二〇万円、原告藤本洋海に対し金一〇万円、原告秋葉政敏に対し金四〇万円、原告池口英範に対し金九〇万円、原告浜田一夫に対し金三〇万円、原告鎌田秀夫に対し金三五万円、原告松原俊之に対し金四〇万円、原告禾木治己に対し金三〇万円、原告高田アイに対し金三〇万円、及び、右各金員に対する昭和五一年八月二九日以降右各支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決、並びに、仮執行の宣言を求めた。

被告両名訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

二、(原告ら主張の請求原因)

1  被告片岡不動産有限会社(以下単に被告会社という)は、住宅・店舗・アパートの賃貸・管理等を業とする会社であるところ、原告らは、いずれもかねて、被告会社から、その所有にかかる別紙目録記載の文化住宅(以下本件文化住宅という)の二、三階の各一居室(但し、原告池口英範のみは二居室)を、各別に、それぞれ賃借していた。

2  そして、原告らは、被告会社と本件文化住宅の各居室の賃貸借契約(以下本件賃貸借契約という)を締結するに際し、保証金として、それぞれ別紙一覧表の「保証金」欄に各記載の各金員(以下本件各保証金という)を、被告会社にさし入れた。

3  ところが、本件文化住宅は、昭和五一年二月五日午後一一時頃、一階店舗の賃借人である訴外阪南工芸方から出火し、約一時間後に全焼したから、これにより、本件文化住宅の各居室につき、原告らと被告会社との間に締結された本件各賃貸借契約は、目的物の滅失により、当然終了した。

4  したがって、被告会社は、原告らに対し、原告らが被告にさし入れた前記本件各保証金を原告らに返還すべき義務がある。

5  次に、被告片岡良造は、被告会社の代表取締役であって、被告会社の経営に当ってきたところ、被告片岡良造は、被告会社の代表取締役として、原告らが被告会社にさし入れた本件各保証金を、被告会社内に留保し、原告らとの前記賃貸借契約が終了した場合には、何時でもこれを原告らに返還し得る状態にしておくべき義務があったのに、これを怠ったため、被告会社が原告らに対し、本件各保証金を返還することを不能な状態にしたものであって、結局、被告片岡良造は、悪意又は重過失により、被告会社に対する任務を懈怠し、以って、原告らに本件各保証金相当額の損害を被らしめたものである。したがって、被告片岡良造は、有限会社法三〇条の三により、被告会社と連帯して、原告らの被った前記損害を賠償すべき義務がある。

6  よって、原告らは、被告会社に対しては、本件賃貸借契約終了に伴う保証金返還義務の履行として、また、被告片岡良造に対しては、有限会社法三〇条の三により、それぞれ連帯して、請求の趣旨記載の各金員及びこれに対する被告会社については本件訴状が送達された翌日である昭和五一年八月二九日以降、被告片岡良造については、同じく同月三一日以降、右各支払済に至るまで、商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三、(被告らの答弁・主張)

1  原告ら主張の請求原因1ないし3の各事実はすべて認める。

同4の事実は争う。

同5の事実のうち、被告片岡良造が被告会社の代表取締役であって、被告会社の経営に当ってきたことは認めるが、その余の事実は争う。

2  原告らが被告会社にさし入れた本件各保証金は、原告らと被告会社との本件賃貸借契約が終了した後、その賃借物(居室)の返還を完了することを条件として、契約による一定率の控除分及び清算分をさし引いた上、その残額を原告らに返還するものであり、かつ、その際、賃借人である原告らは、その故意・過失の有無を問わず、右賃借物を何らの損害もない完全な状態で、賃貸人である被告会社に返還しなければならない義務があるのであって、原告ら主張の如く、単に本件賃貸借契約が終了したという事実のみに基づいて、当然本件各保証金の返還義務が発生するものではない。

殊に、本件においては、原告らが被告会社から各賃借した居室の焼失が類焼によるとはいえ(出火原因は現在不明)、原告らは、もともと、被告会社に対し、前記の如く、完全な賃借物の返還義務を負っているのであるから、右義務を履行するためにも、原告らにおいて、類焼ないし延焼の防止をするため、相当の努力をすべき法律上の義務があったものというべきであって、このようなことからすれば、なおさら、本件賃貸借契約が終了したからといって、当然に本件各保証金の返還義務が発生するものではない。

3  仮に、右主張が理由がないとしても、被告会社には、次に述べる理由により、本件各保証金の返還義務はない。

すなわち、本件文化住宅のあった地方(大阪市)では、家屋の賃貸借契約においては、火災及び天災・地変その他の不可抗力により家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合には、賃貸人は、賃借人のさし入れた保証金を返還する義務がないという事実たる慣習(民法九二条)が存するのであって、原告らの大部分も、被告会社と本件賃貸借契約を締結するに際し、火災及び天災・地変その他の不可抗力によって賃借物が滅失した場合には、貸主は、保証金を返還する義務がない旨の契約を締結しているのである。しかして、原告らは、いずれも、本件賃貸借契約締結に際し、右事実たる慣習を排除する旨の意思を明示しておらず、却って、これに従うべき意思を有していたところ、本件文化住宅は、原告ら及び被告会社の双方にとって不可抗力の火災により、滅失したのであるから、被告会社には、右事実たる慣習により、本件各保証金を原告らに返還すべき義務はない。

4  仮に、右主張が認められないとしても、原告らは、いずれも、本件賃貸借契約を締結するに際し、被告会社に対し、天災・地変・出火・類焼等の不可抗力により、本件文化住宅の各居室に居住不能となったときは、被告会社に対し、本件各保証金の返還請求をしない旨約したから、右特約により、被告会社には、本件各保証金の返還義務はない。なお、右特約のなされたことは、原告亀甲株式会社、同松浦、同松原、同南、同秋葉、同池田、同中尾の七名は、いずれも右特約を記載した賃貸借契約書を原告にさし入れているところからも明らかであり、また、その余の原告らは、右特約を明記した賃貸借契約書を被告会社にさし入れてはいないが、被告会社の代表者の信仰(天理教)上の理由に基づく特殊性により、黙示の合意により右特約をなしたものである。

5  仮に、以上の主張が認められないとしても、原告らと被告会社との間においては、本件賃貸借契約が終了した場合に、被告会社は、さきに原告らのさし入れた保証金のうちから、別紙一覧表の「控除額」欄記載の各金員をさし引いた残額を原告らに返還する旨の特約がなされていたから、被告会社には、別紙一覧表の「控除額」欄記載の各金員の限度では、本件各保証金の返還義務はない。

四、(被告らの右主張に対する答弁・主張)

1  被告らの右2ないし5の主張事実はいずれも争う。

2  被告ら主張の如く、建物の賃貸借契約において、火災及び天災・地変その他不可抗力により建物が滅失して賃貸借契約が終了した場合には、賃貸人において保証金を返還する義務がないという事実たる慣習は、全く存在しない。なお、仮に、右のような場合に、賃借人のさし入れた保証金の返還がなされていないことが現実にあったとしても、右は、賃貸人が、経済的弱者である賃借人の法的無知に乗じ、事実上右保証金の返還をしなかったに過ぎないのであって、このことから、被告ら主張の如き事実たる慣習があるとはいえない。

3  なお、右事実たる慣習の存在しないことは、次の点からも明らかである。すなわち、本件各保証金は、いわゆる敷金と同一性質のものであるところ、敷金は、元来、延滞賃料、賃貸借契約終了後の賃料相当の損害金、及び賃借人の賃借物の保管義務違反による損害賠償債務の支払いを担保するものであって、賃借人の責によらない不可抗力によって賃貸借の目的物が滅失し、そのために賃貸人の被った損害までも填補するものではないのである。また、これを公平の観点から考えても、賃貸人は、自己の家屋に火災保険を付して、損害の填補をはかることができ、現に、被告会社も、本件文化住宅に火災保険を付して、その火災による損害の回復を得ているのに対し、賃借人である原告らは、本件文化住宅が夜中の火災により焼失した関係もあって、子供を拘えて逃げるのが精一杯であって、家財道具や衣類等は、ほとんど持出すことができず、わずかに焼失を免がれたものも、泥水をかぶって、使用不能となり、そのために、原告らは莫大な損害を被ったのである。このような事情の下で、本件文化住宅の火災の発生について、全く責任のない原告らが、保証金の返還を受けられないとすることは、社会正義に反することにもなるのである。したがって、被告ら主張の如き場合に、保証金の返還義務がないとの事実たる慣習があるとは、到底いえないのである。

4  次に、原告らと被告会社との間において、被告ら主張の如き場合には、本件各保証金を返還しない旨の特約がなされたことはない。

もっとも、一般に、市販されている賃貸借契約書用紙のなかには、不動文字で、「火災及び天災・地変その他不可抗力の場合には、保証金の返還請求をなさざる事。」と記載されたものがあり、また、原告らの一部のものと被告会社との間に締結された本件賃貸借契約について、右と同旨の不動文字の印刷されている賃貸借契約書が被告会社にさし入れられているとしても、右契約書の記載は、単なる例文であって、何ら本件当事者を拘束する契約内容となっているものではない。

5  仮に、本件各保証金の返還につき、被告ら主張の如き事実たる慣習ないし特約があったとしても、右事実たる慣習又は特約は、いずれも借家法の立法趣旨に反するから当然無効である。

五、(原告らの右主張に対する被告らの答弁・主張)

1  原告らの右2ないし4の主張は争う。

2  本件各保証金は、いわゆる敷金と同一性質のものではない。

すなわち、敷金として、さし入れられるのは、通常家賃の二、三ヶ月分程度の金額であるが、本件各保証金は、いずれも、右の金額をはるかに超えるものであるから、形式的にも、実質的にも、いわゆる敷金ではない。したがって、本件各保証金によって担保される債権の範囲も、原告主張のものに限らないし、また、本件各保証金については、これを如何なる場合に、どれだけ返還するか、或は、全く返還しないことにするかは、当事者間の契約により、自由に定め得ることである。

六、(証拠関係)《省略》

理由

一、被告会社が、住宅・店舗・アパートの賃貸・管理を業とする会社であること、原告らが、いずれもかねて、被告会社からその所有にかかる別紙物件目録記載の本件文化住宅の各一居室(但し、原告池口英範のみは二居室)を賃借していたこと、原告らが、被告会社と本件文化住宅の各居室の賃貸借契約を締結するに際し、その保証金として、それぞれ別紙一覧表の「保証金」欄に記載の金員(本件各保証金)を、被告会社にさし入れたこと、本件文化住宅が、昭和五一年二月五日午後一時頃、一階店舗の賃借人である訴外阪南工芸方から出火し、約一時間後に全焼したため、原告らと被告会社との間に締結された本件賃貸借契約は、目的物の滅失により、当然終了したこと、以上の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二、そこで、次に、前述の如く、本件賃貸借契約が終了したことにより当然に、被告会社に、本件各保証金の返還義務が発生するものであるか否かについて判断する。

《証拠省略》によると、次の如き事実が認められる。すなわち、賃借人である原告らが被告会社にさし入れている本件各保証金は、右原告らが被告会社から賃借している本件文化住宅の各居室の賃料債務や、原告らの故意又は過失により、その賃借物を破損した場合の損害賠償債務の支払を担保する目的でさし入れられたものであること、そして、本件賃貸借契約が終了した場合に、被告会社は、右保証金から一定額をさし引き、原告らに右賃料債務等の不払のあるときは、これもさし引いた上、その残額を原告らに返還する約束であったこと、なお、原告藤本洋海、同池口英範、同禾木治己、同高田アイらが、本件賃貸借契約を締結するに際し、被告会社にさし入れた建物賃貸借契約書には、右原告らのさし入れた金員を、敷金として記載していること(乙第七号証、同第一〇号証、同第一六、一七号証各参照)、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。してみれば、本件各保証金は、いわゆる敷金と同一の性質のものというべきである。

ところで、敷金は、賃貸借契約が終了した場合に、賃借人に返還されるべきものであるが、敷金返還請求権の具体的な発生時期については、賃貸借契約終了の時か、或は、賃借物を返還した時かについて、議論の存するところではあるが、本件においては、本件賃貸借契約の目的物である本件文化住宅の各居室が、その賃借人である原告らの責に帰すべからざる事由により滅失し、かつ、そのために本件賃貸借契約が終了したことは、弁論の全趣旨により明らかであるから、原告らの右賃借物の返還義務は、本件賃貸借契約の終了と同時に当然に消滅したものというべきである。したがって、敷金と同一の性質を有する本件各保証金に対する原告らの返還請求権は、敷金返還請求権の具体的な発生時期につき、前記のいずれの説をとるにしても、他に特段の事情のない限り、右賃貸借契約終了と同時に発生する関係にあったものというべきである。なお、被告らは、原告らにおいて、本件文化住宅の類焼ないし延焼を防止するため相当の努力をすべき法律上の義務があったこと等を一事由として、本件賃貸借契約が終了したからといって、本件各保証金の返還義務は発生しないと主張しているが、原告らに右被告ら主張の如き義務があるとしても、原告らが故意又は過失によって、右義務を怠ったことについては、何らの主張立証もないから、被告らの右主張は採用できないものというべきである。

また、被告らは、いわゆる敷金は、通常は、家賃の二、三ヶ月分相当の金額であるが、本件各保証金は、いずれも右金額をはるかに超えるから、いわゆる敷金と同一の性質を有するものではないと主張しているが、賃貸借契約締結に際し、賃借人のさし入れた金員が、家賃の二、三ヶ月分相当の金額を超えるからといって、そのことから直ちに右さし入れられた金員を敷金と同一の性質のものではないと解すべき法律上の理由はないから、本件各保証金が、家賃の二、三ヶ月分相当額よりもはるかに高いとの一事をもって、直ちに、実質的に敷金と同一の性質のものではないともいい難いのであって、右の点に関する被告らの主張も採用できない。

三、次に、被告らは、本件文化住宅の所在していた地方(大阪市)では、家屋の賃貸借契約において、火災及び天災・地変その他不可抗力により、賃貸借の目的である家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合には、賃貸人は、賃借人のさし入れた保証金を返還する義務がないという事実たる慣習(民法九二条)があると主張している。しかしながら、民法九二条にいわゆる慣習とは、一定の法律効果を伴う行為が、一定の範囲の人の間において、繰り返し行なわれ、かつ、それが社会の習俗的規範として存在するに至ったものであると解すべきところ、《証拠省略》によるも、本件文化住宅のあった地方(大阪市)における家屋の賃貸人、賃借人間において、その目的家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合に賃貸人は、賃借人のさし入れた保証金を返還しない旨の特約が繰り返し締結され、かつ、それが、社会の習俗的規範として存在するに至ったものとは認め難く、他に、右事実を認め得る証拠はないから、被告ら主張の事実たる慣習の存在を認めることはできない。

のみならず、仮に、右事実たる慣習が存在するとしても、右事実たる慣習は、後記五に述べる通り、公序良俗に反するものであって、無効というべきである。

四、次に、被告らは、原告らは、いずれも本件賃貸借契約締結に際し、被告会社に対し、天災・地変・出火・類焼等の不可抗力により、本件文化住宅の各居室に居住不能となったときは、被告会社に対し、本件各保証金の返還請求をしない旨約したと主張しているが、右被告らの主張事実に副う《証拠省略》は、原告松浦善栄本人尋問の結果に照らしてたやすく信用できないし、また、前掲乙第一、二号証、同第四、五号証、同第八、九号証、同第一三号証の各賃貸借契約書中には、いずれも、被告ら主張の如き右特約の記載されていることが認められるけれども、後記の理由により、右乙号各証から、直ちに、被告ら主張の右特約を認めることはできず、他に被告らの右主張事実を認め得る証拠はない。

却って、《証拠省略》によれば、原告亀甲株式会社、同松浦善栄、同中尾日出男、同南賢、同秋葉政敏、同池口英範、同松原俊之が、本件文化住宅の各居室を賃借するに際し、被告会社にさし入れた乙第一、二号証、同第四、五号証、同七、八号証、同一三号証の各賃貸借契約書に記載されている前記被告主張の特約は、いずれも不動文字で印刷されていること、一方、原告宮地源伍、同藤本洋海、同池口英範、同浜田一夫、同鎌田秀夫、同禾木治己、同高田アイ子らが本件文化住宅の各居室を賃借するに際し、被告会社にさし入れた乙第六、七号証、同第一〇号証ないし第一二号証、同一六、一七号証の各賃貸借契約書には、いずれも被告ら主張の如き特約は何ら記載されていないことが認められるところ、(原告池口英範は、乙九号証と同第一〇号証の二通の契約書をさし入れている)、被告会社が本件文化住宅の各居室を賃貸するに際し、前記原告亀甲株式会社外六名の賃借人に対しては、被告ら主張の如き特約をさせ、他の原告宮地源伍外六名の賃借人に対しては、右特約をさせないことにして、その契約内容を異ったものとする合理的理由については、何らの主張立証もないのであって、これらの事実に、《証拠省略》を総合して考えれば、前記乙第一、二号証、同第四、五号証、同八、九号証、同第一三号証に記載されている被告ら主張の特約の記載は、単なる例文であって、これを本件賃貸借契約の内容とする趣旨のものではないと認めるのが相当である。

したがって、本件賃貸借契約締結果に際し、被告ら主張の事由により本件文化住宅が滅失したときは、本件各保証金を返還しない旨の特約があったとの被告らの主張は失当である。

五、のみならず、仮に、被告ら主張の本件各保証金を返還しない旨の特約があったとしても、右特約は、次に述べる理由により、一定の限度で当然無効と解するのが相当である。すなわち、(1)、本件各保証金は、前述の通り、敷金と同一の性質を有するものであるところ、敷金は、元来、賃貸借契約が終了した場合に、賃借人の遅滞している賃料や賃料相当の損害金、その他賃借人が故意又は過失により賃借物を毀損して賃貸人に損害を被らせた場合の損害賠償債務の支払を担保するものであって、それ以外の賃貸人の被った損害等を填補するものではないこと、(2)、一方、賃貸借契約の目的家屋が、天災・地変や他からの類焼による火災等賃借人の責に帰すべからざる事由により、滅失し、そのために賃貸人が損害を被ったとしても、賃借人には、何ら法律上の賠償義務はないこと、(3)、しかるに、賃借人の責に帰すべからざる事由により、賃借家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合に、賃借人において、賃借人のさし入れた保証金の返還を要しないとすることは、実質的には、法律上何らの責任もない賃借人の損失において、賃貸人の被った損害の填補をはかるものであるところ、このようなことを認めることは、賃借家屋の滅失により家財道具や衣類等の生活必需品を失い、経済的に大きな損害を受けた賃借人にとって酷な結果を招く場合もあるのであるし、(現に、原告松浦善栄本人尋問の結果によれば、原告らは、本件文化住宅が焼失した際、家財道具を失って困っていたことが認められる。)、また、現実に、賃借人が特段の事由もないのに、右のようなことを、その真の自由意思に基き、易々諾々として承認するようなことは、経験則上一般的にはないと推認されること、(4)、賃借人は、賃貸人に比し、通常は経済的弱者の立場にあるのであって、家屋の賃貸借契約締結に際し、賃貸人側の強い申入れにより、やむなく賃借人にとって、不当に不利益な特約をさせられる虞があること、(5)、なお、家屋の賃借人がその賃借家屋に施した造作の買取請求権を放棄することは、対等の私人間では、本来は自由である筈であるが、借家法は、賃借人の保護のため、造作の買取請求権を放棄する特約は無効としていること(借家法五条六条参照)、等の諸事情からすれば、「火災、天災、地変その他不可抗力により、賃貸借契約の目的家屋が滅失して賃貸借契約が終了した場合に、賃貸人は、賃借人のさし入れた保証金の返還を要しない」旨の特約は、右家屋が、賃借人の故意・過失によって滅失した場合については有効と解すべきであるが、賃貸人の責に帰すべき事由によって右家屋が滅失した場合は勿論、賃貸人、賃借人の責に帰すべからざるいわゆる不可抗力によって、右家屋が滅失した場合についても、賃借人が賃貸人よりも経済的優位にあり、かつ、賃借人の好意的な自由意思に基づいて、右特約を締結した等の特段の事情がない限り、賃貸人は、賃借人の犠牲において不当な利益(損害の填補)を得るものであって、賃借人の保護を目的とした強行法規である借家法の立案趣旨に反し、ひいては公序良俗に反して、当然無効と解すべきである。(なお、地代家賃統制令の適用のない家屋の賃貸借においては、権利金を徴収することは法律上禁止されていないけれども、権利金は、賃借人が、賃貸借契約締結に際し、その支払を了承して確定的にこれを支払うものであるのに対し、本件の如き保証金を一定の場合に返還しない旨の特約は、右保証金の不返還を、賃借人の関与しない将来の不確定な事実の発生にかからしめるもので、その本質において異るものがあるというべきである。)

ところで、本件では、本件文化住宅は、原告らの責に帰すべからざる事由により滅失したものであることは、さきに認定した通りであるから、仮に、原告らと被告会社との間において、被告ら主張の前記特約がなされたとしても、他に特段の事情のない本件においては、右特約は、当然無効というべきである。したがって右特約のあることを理由にした被告らの主張は失当である。

六、次に、《証拠省略》によれば、原告らが被告会社にさし入れた本件各保証金については、本件賃貸借の終了した場合に、被告会社において、右各保証金から、別紙一覧表の「控除額」欄記載の各金員を控除し、その残額である右同表の「差引残額」欄記載の各金員を、各原告らに返還する旨の約定であったこと、したがって、別紙一覧表の「控除額」欄記載の金員は実質的には、権利金であることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はないところ、他に特段の事情の認められない本件においては、右約定は有効と解すべきである。

してみれば、被告会社は、原告らに対し、本件各保証金のうち、別紙一覧表の「差引残額覧」に記載の各金員を返還すべき義務がある。

七、よって、原告らの被告会社に対する本訴請求は、被告会社に対し、本件賃貸借契約の終了に伴う保証金返還義務の履行として、別紙一覧表の「差引残額」欄記載の各金員(すなわち主文第一項記載の各金員)及びこれに対する被告会社に本件訴状が送達された翌日であることが記録上明らかな昭和五一年八月二九日以降右支払済に至るまで、商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当である。

八、次に、原告らの被告片岡良造に対する請求について判断する。

被告片岡良造が被告会社の代表取締役であることは当事者間に争いがないところ、原告らは、被告片岡良造は、被告会社の代表取締役として、原告らが被告会社にさし入れた前記各保証金を、被告会社内に留保し、原告らとの前記賃貸借契約が終了した場合には、何時でもこれを原告らに返還し得る状態におくべき義務があったのに、これを怠ったとし、そのために、原告らが被告会社から本件各保証金の返還を受けられなくなって、同額の損害を被ったと主張しているが、原告らの右主張事実を認め得る証拠はない。

却って、被告会社代表者兼被告本人尋問の結果によれば、被告会社は、本件文化住宅が焼失した後に、鉄筋四階建の建物を建築して、現にこれを所有しており、その時価額は、金一億一〇〇〇万円を下らないこと、そして、被告会社は、現在も不動産賃貸等の営業を続けており、その一ヶ月の家賃収入は金一〇〇万円前後であること、したがって、被告会社には、現在相当の資産収入があり、原告らに返還すべき主文第一項記載の金員を支払う能力は充分あるのであって、原告らが、右保証金の返還を受けられなくなり、そのため、右同額の損害を被ったというようなことはないこと、以上の事実が認められる。してみれば、有限会社法三〇条の三に基づき、被告片岡良造に対し、原告ら主張の金員の支払を求める原告らの請求は、その余の点につき判断するまでもなくすべて失当である。

九、よって、原告らの本訴請求は、被告会社に対し、主文第一項記載の金員の支払を求める限度で正当であるから、右の限度で認容し、原告藤本洋海を除くその余の原告らの被告会社に対するその余の請求、及び、原告らの被告良造に対する請求は、いずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民訴法八九条九二条九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を、各適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 後藤勇)

<以下省略>

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